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小城市の文化財(書跡)

更新日:2024年6月17日

小城市重要文化財

中林梧竹書「天山閣」並びに「海外飛香」
(なかばやしごちくしょ「てんざんかく」ならびに「かいがいひこう」)

天山閣の写真です天山閣

海外飛香の飛香部分です海外飛香の海外部分です海外飛香

指定年月日:平成2年(1990年)3月5日

所在地:小城市立中林梧竹記念館(小城市小城町158番地4)

(Googleマップで表示します)
 

この二つの作品はともに中林梧竹が80代前半の頃の作品です。「海外飛香」は独特の工夫になる書体の文字で筆勢が躍動していて、堂々たるものです。「天山閣」は梧竹の作品の中でもスケールが大きく特筆すべき作品です。

ちなみに、「海外飛香」とは、小城藩二代藩主鍋島直能が後西院(退位した天皇)と18人の公家から桜岡の桜を詠んだ和歌をいただき、自分の和歌を加え編纂した歌集の題です。また、「天山閣」とは、旧小城郡役所議事堂のことです。

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日蓮曼荼羅本尊(にちれんまんだらほんぞん)

日蓮曼荼羅本尊の写真です

指定年月日:平成22年(2010年)3月25日

所在地 :小城市三日月町織島(龍王山勝妙寺)

勝妙寺は、千葉胤泰の肥前下向に同行した日厳によって14世紀前半に創建されたといわれています。江戸時代中期に編纂された『法華宗由緒』(鍋島報效会)に記される「勝妙寺本末由緒」によれば、胤泰の守護として中山法華経寺(千葉県市川市)から「日蓮大菩薩真筆之漫(曼)荼羅」が進ぜられたといい、これが本資料に該当すると考えられます。大きさは、縦は128.8センチメートル、横は68.5センチメートルです。

曼荼羅本尊とは、南無妙法蓮華経の題目を中心として諸々の神仏の名を書き連ねて曼荼羅とするもので、法華曼荼羅、大曼荼羅などとも呼ばれています。日蓮自筆の曼荼羅本尊は全国で約130点が現存しており、勝妙寺のものは、書法の特徴などから弘安元年(1278年)7月頃に書されたと考えられます。

日蓮流の法華信仰は、千葉胤貞、胤泰により中山法華経寺から小城に移植され、現在に至るまで当地の歴史と文化に多大な影響を及ぼしています。中世に創建された勝妙寺に伝わるこの曼荼羅本尊は、千葉氏の移住により広まった小城の法華信仰を象徴する文化財として価値の高いものです。

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 中山法華経寺歴代貫首曼荼羅本尊(なかやまほけきょうじれきだいかんしゅまんだらほんぞん)

中山法華経寺歴代貫主曼荼羅本尊 2世にっこうの写真です

指定年月日:平成29年(2018年)3月29日

所在地 :小城市三日月町織島(龍王山勝妙寺)

日蓮流の曼荼羅本尊は、南無妙法蓮華経の題目を中心とし、諸々の神仏の名を書き連ねて曼荼羅とするもので、法華曼荼羅、大曼荼羅などとも呼ばれています。日蓮が創始したもので、日蓮門流の高僧も継承して書していました。日蓮門流の法華経信仰者の間で信仰の対象あるいは御守として極めて重要視されています。

小城における日蓮流の法華信仰は、鎌倉時代末期、千葉氏の氏寺であった中山法華経寺の2代貫首日高の命を受けた日厳によりひろめられたとされています。

勝妙寺に伝わるこの資料は17幅からなり、九州での布教のため、正和2年(1313年)に日高から日厳に授けられたものを含む中山法華経寺の歴代貫首自筆の曼荼羅本尊であり、千葉氏の精神的な拠りどころであった中山法華経寺と勝妙寺あるいは小城が、中世を通じて深いつながりを持っていたことを物語っていると考えられ、高い文化財的価値を有しています。

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問い合わせ

小城市教育委員会 文化課/梧竹記念館/歴史資料館
〒845-0001 佐賀県小城市小城町158番地4(桜城館内)
電話番号:0952-73-8809/0952-71-1132(平日、土曜日、日曜日 8時30分から17時15分まで) ファックス番号:0952-71-1145
メール:bunka@city.ogi.lg.jp
 

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