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中林梧竹年表

更新日:2014年 05月 30日

※年齢は数え年で表記しています。

 

1827年 文政10年 1歳
4月19日小城町新小路(現・小城町本町)に中林経緯の長男として生まれる。幼少の頃から書の才能を発揮し、神童と称される。
1836年 天保7年 10歳
小城藩校興譲館に学び、草場佩川(くさばはいせん)に師事し小城藩9代直堯(なおたか)に認められ、10代直亮(なおすけ)に仕える。
1839年 天保10年 13歳
江戸に遊学し書を山内香雪、市河米庵に学ぶ。
1854年 安政元年 28歳
小城へ帰藩する。
1856年 安政3年 30歳
興譲館指南役を命じられる。
1864年 文久4年 38歳
御側目付役となる。
1871年 明治4年 45歳
廃藩置県により小城藩は小城県となる。この頃から一切の役職を辞し、書に専念するようになる。
1875年 明治8年 49歳
桜岡公園(現小城公園)の建設に尽力し、自らの筆で「桜岡公園」の碑を建てる。
1882年 明治15年 56歳

梧竹59歳のときの書、「快雨」です。

梧竹59歳のときの書

「快雨」

長崎の清国領事余元眉の帰国に伴って清国に渡る。潘存から書を学ぶ。長鋒筆による立ち書きを会得する。
1884年 明治17年 58歳

清国から帰国する。副島種臣、松田正久、波多野敬直らの紹介で銀座の伊勢幸洋服店に住む。以後30年間伊勢幸を中心に活動する。

1891年 明治24年 65歳
副島種臣の勧めにより、「十七帖」の臨書を明治天皇に献上し、白羽二重(しろはぶたえ)を贈られる。
1896年 明治29年 70歳

梧竹71歳のときの書、「天鼠膏帖(てんそこうちょう)」です。

梧竹71歳のときの書

「天鼠膏帖(てんそこうじょう)」

銀座伊勢幸から小城へ帰る。翌年清国に渡り、帰国後再び伊勢幸に住む。
1898年 明治31年 72歳
富士山頂に「鎮國之山」の銅碑を建てる。
1904年 明治37年 78歳
東京都港区芝の薬王寺境内にある師山内香雪の墓の向かいに自分の墓を建てる。
1906年 明治39年 80歳
小城に帰郷し、観音堂の建設を始める。この頃、長鋒筆から短鋒筆に移行。
1908年 明治41年 82歳

梧竹82歳のときの書、「海外飛香」です。

梧竹82歳のときの書

「海外飛香」

三日月村に観音堂、梧竹村荘が完成し、帰郷する。皇后陛下から観音堂に、宝帳を贈られる。また、宮中女官12人から、和歌帖「三日月帖」を贈られる。
1909年 明治42年 83歳
皇后陛下から香筥を贈られる。
1912年 明治45年 86歳
この年、上海の呉吟軒に依頼して超短鋒筆を作らせる。10月に銀座の理髪店にて脳卒中を発症し、伊勢幸で療養する。
1913年 大正2年 87歳
 5月   三日月村に帰り武雄、嬉野温泉で療養する。
 8月1日 持仏の観音像を高取伊好に贈る。
 8月4日 午前2時に梧竹村荘で死去。
 8月8日 観音堂で葬儀が行われる。約200名が参列する。長栄寺(現・三日月町)に葬られる。法名は「梧竹堂鳳栖五雲居士」。

 

 

 

問い合わせ

小城市役所 文化課/梧竹記念館/歴史資料館
〒845-0001 佐賀県小城市小城町158番地4(桜城館内)
電話番号:0952-73-8809/0952-71-1132(平日、土、日 8時30分〜17時15分) ファックス番号:0952-71-1145
メール:bunka@city.ogi.lg.jp
 

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