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小城鍋島家の歴代藩主

更新日:2015年 02月 26日

▼初代・鍋島元茂

▼2代・鍋島直能

▼3代・鍋島元武

▼4代・鍋島元延

▼5代・鍋島直英
▼6代・鍋島直員 ▼7代・鍋島直愈 ▼8代・鍋島直知 ▼9代・鍋島直堯 ▼10代・鍋島直亮
▼11代・鍋島直虎

初代・鍋島元茂(なべしまもとしげ)

佐賀藩初代藩主鍋島勝茂の庶長子として慶長7年(1602年)、蓮池小捲(こまかり)の館で生まれました。

 

元和3年(1617年)、祖父直茂(日峰)の隠居領の小城を譲り受け、初代小城藩主となります。翌年、柳生但馬守宗矩より柳生新陰流の免許皆伝を受け、のちに3代将軍家光の打太刀役を務めました。

 

寛永14年(1637年)には、島原の乱鎮圧に藩兵をひきいて出陣しました。寛永17年(1640年)に、幕府から佐賀藩の分家として認められました。晩年まで幕府と佐賀藩の仲介役を務め、またさまざまな芸に通じ、20種あまりの免状を受けています。承応3年(1654年)、53歳で死去しました。法名は「祥光院殿月堂善珊大居士」です。

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2代・鍋島直能(なべしまなおよし)

初代藩主元茂の長男として元和8年(1622年)、江戸で生まれました。承応3年(1654年)、初代藩主元茂の死去により家督を継ぎました。明暦2年(1656年)に鯖岡を桜岡と改めて以後、桜岡に屋敷を造営し、桜の木の増殖を行いました。延宝3年(1675年)には、後西上皇御製の和歌を賜り、聖護院宮道晃法親王以下18名の公卿の和歌も受け、あわせて『八重一重』と号しました。

 

延宝6年(1678年)、初めて桜岡の館に入り、翌延宝7年(1679年)に隠居して長男元武に家督を譲りました。貞享元年(1684年)、初代藩主元茂の菩提を弔うため、祥光山星巌寺の建立を発願しました。また、貞享2年(1685年)に桜岡に庭園をつくり自楽園と名付けました。

 

元禄2年(1689年)、68歳で死去しました。

 

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3代・鍋島元武(なべしまもとたけ)

2代藩主直能の長男として寛文2年(1662年)、江戸で生まれました。延宝6年(1678年)、17歳のとき疱瘡となりその痕が残ってしまったため、人に会うことを恥とし、大和尚となって名を残そうとして、潮音道海に学びました。しかし、翌延宝7年(1679年)には父直能の隠居により家督を継ぎました。

 

天和3年(1683年)、それまでの佐賀本藩と3支藩(小城・蓮池・鹿島)の間の不和が落着し、『三家格式』ができました。元禄3年(1690年)に、2代藩主直能が発願した祥光山星巌寺が落成しました。元禄6年(1693年)から宝永6年(1709年)までの16年間、江戸城奥詰の職を務め5代将軍徳川綱吉の信用を得ていました。遠江国浜松への国替えの打診もあったほどです。また、徳川光圀(水戸黄門)とも交流があり、多くの往復書簡が残っています。

 

正徳3年(1713年)、家督を次男元延に譲った後、52歳で死去しました。遺言により金粟山玉毫寺が建立され、その開山となっています。

 

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4代・鍋島元延(なべしまもとのぶ)

3代藩主元武の次男として元禄8年(1695年)、小城で生まれました。正徳3年(1713年)に元武の隠居により家督を継ぎましたが、翌正徳4年(1714年)に20歳で死去しました。嗣子がなかったため、弟の直英が養子となって家督を継ぎました。

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5代・鍋島直英(なべしまなおひで)

3代藩主元武の三男として元禄12年(1699年)、小城で生まれました。はじめは多久領4代領主多久茂文の養子となって、多久茂村と名乗りました。正徳元年(1711年)に多久茂文が亡くなると、その家督を継ぎました。しかし、4代藩主の兄元延が正徳4年(1714年)に亡くなったため、小城藩の家督を継ぎました。

 

藩主となった後は、神田橋御門番、朝鮮通信使や勅使の接待役などを務めました。享保17年(1732年)に発生した享保の大飢饉では、流行病と虫害で1万人の被害者を出るなどし、次第に藩財政の悪化が顕著になってきます。

 

延享元年(1744年)、46歳で死去しました。

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6代・鍋島直員(なべしまなおかず)

5代藩主直英の次男として享保11年(1726年)、小城で生まれました。延享元年(1744年)、5代藩主直英の死去により家督を継ぎました。

 

宝暦14年(1764年)、家督を次男の直愈に譲って隠居しました。安永9年(1780年)、55歳で死去しました。

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7代・鍋島直愈(なべしまなおます)

6代藩主直員の次男として宝暦6年(1756年)、小城で生まれました。宝暦14年(1764年)に直員の隠居により9歳で家督を継ぎました。

 

安永3年(1774年)、有栖川宮織仁親王の江戸下向に際して御馳走役を命じられその役を果たしましたが、資金調達の過程で幕府に拝借金を嘆願したことが問題となり、当時の佐賀藩主鍋島治茂とともに2か月間の差控(登城停止)となりました。また、天明4年(1784年)、藩校・興譲館の前身である文武稽古所を創設しました。

 

寛政6年(1794年)に家督を長男の直知に譲って隠居しました。享和元年(1801年)、46歳で死去しました。

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8代・鍋島直知(なべしまなおとも)

7代藩主直愈の長男として天明4年(1784年)、江戸で生まれました。寛政6年(1794年)に直愈の隠居により11歳で家督を継ぎました。しかし、文化元年(1804年)21歳で死去しました。嗣子がなかったため、弟の直堯が養子となって家督を継ぎました。

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9代・鍋島直堯(なべしまなおたか)

7代藩主直愈の次男として寛政12年(1800年)、小城で生まれました。8代藩主の兄直知の死去により5歳で家督を継ぎました。5万石以上の大名の中で城主格でないのは小城藩と蓮池藩のみであり、江戸城において体面上不快であるとして、蓮池藩主鍋島直与とともに、幕府に城主格昇進願を出してくれるよう佐賀本藩に請願しましたが叶いませんでした。

 

藩校興譲館の衰退に対して、文武興隆の議を起こし、橋本岡陰や鴨打謙斎らを教官とし、諸制度を改革し、文武を奨励したため多くの逸材を輩出するに至りました。また、小城藩の菩提寺である祥光山星巌寺の楼門は、嘉永5年(1852年)に直堯が大檀那となって建造されたものです。

 

直堯の治世は嘉永3年(1850年)に隠居するまでの47年間にわたり、幕末の小城藩に大きな影響を与えました。明治6年(1873年)、73歳で死去しました。小城公園の後西院御製碑は直堯の遺言によって建設されたといわれています。

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10代・鍋島直亮(なべしまなおすけ)

9代藩主直堯の長男として文政12年(1829年)、小城で生まれました。幼少の頃より学問を藩の儒学者西原蕉窓や橋本岡陰について学び、江戸では野田笛甫を師として学びました。嘉永3年(1850年)、直堯の隠居により家督を継ぎました。

 

嘉永6年(1853年)、幕府から神田橋御門番を命じられ任についていましたが、7月にプチャーチン率いるロシア艦隊が長崎に来航したため急遽帰国を命じられ、長崎警固の任にあった佐賀本藩に協力して警固に当たりました。その後は幕府から参勤猶予や参府期間短縮を許可され、長崎警固に尽力しました。また、直堯の方針に従って興譲館での教育に力を注いだため、逸材が続出し幕末から明治年間にかけて活躍することになりました。

 

元治元年(1864年)、36歳で死去しました。

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11代・鍋島直虎(なべしまなおとら)

佐賀藩10代藩主鍋島直正の次男として安政3年(1856年)、佐賀で生まれました。10代藩主直亮に男子がなかったため、文久元年(1861年)に直亮の養子となり、直亮の娘お春と結婚しました。元治元年(1864年)、直亮の死去によって家督を継ぎました。

 

慶応4年(1868年)、戊辰戦争が勃発すると、家老である田尻種博を長として700名余の部隊を伊万里から出征させ、部隊は秋田において転戦し戦功を立てました。明治2年(1869年)の版籍奉還後、小城藩知事となりましたが、明治4年(1871年)の廃藩置県によって免職されました。明治6年(1873年)、実の兄弟でもある鍋島直大(元佐賀藩主)、鍋島直柔(元蓮池藩主)とともに5年間ロンドンに留学しました。明治7年(1874年)に発生した佐賀の乱で、参加した小城藩士族が罰せられると、その家族に補助金を出しました。ロンドンから帰国した後は外務省御用掛となり、明治23年(1890年)国会開設の際には貴族院議員となり、30年間ほどその職責を務めました。

 

大正14年(1925年)、70歳で死去しました。

 

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問い合わせ

小城市役所 文化課/梧竹記念館/歴史資料館
〒845-0001 佐賀県小城市小城町158番地4(桜城館内)
電話番号:0952-73-8809/0952-71-1132(平日、土、日 8時30分〜17時15分) ファックス番号:0952-71-1145
メール:bunka@city.ogi.lg.jp
 

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