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小城市の文化財(建造物)

更新日:2019年11月 6日

佐賀県重要文化財

石造肥前鳥居(慶長二年の銘あり)
【せきぞうひぜんとりい(けいちょうにねんのめいあり)】

石造肥前鳥居の正面画像

指定年月日

昭和39年(1964年)5月23日

所在地 小城市小城町池上(牛尾神社)

牛尾神社は、延暦15年(796年)9月に桓武天皇の勅宣により創始したと伝えられる平安時代初期の古社で、祭神は天之茸根命ほかです。かつては肥前国の修験の本拠地として栄えました。境内の梅林も名所として知られています。

 

牛尾神社の二の鳥居は、高さ3.25メートル、笠木の高さ3.6メートルで、笠木・島木・柱・貫はいずれも3本継ぎです。慶長2年(1597年)に鍋島勝茂(のちの佐賀藩初代藩主)によって奉献されました。県下の肥前鳥居の中でも造立年代の古いものの一つです。

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星巌寺楼門附棟札(嘉永五年の銘あり)
【せいがんじろうもんつけたりむなふだ(かえいごねんのめいあり)】

星巌寺楼門の正面画像

 

指定年月日

昭和40年(1965年)7月23日

平成20年(2008年)2月6日(棟札追加指定)

所在地 小城市小城町畑田(祥光山星巌寺)

祥光山星巖寺は黄檗宗に属する小城鍋島家の菩提寺です。この楼門は嘉永5年(1852年)第13代沢林和尚の代に竣工したもので、9代藩主鍋島直堯が大檀那となっています。桁行3間、梁間2間の楼門で屋根は入母屋造の本瓦葺、大棟の左右に鯱がのせてあります。棟札には、楼門の大工棟梁は丹宗常十であったと銘記されています。この丹宗常十についての詳細は不明ですが、楼門全体を見ると木部全体の感覚が和風の様式であるために、小城藩の工匠であると考えられます。

 

俗に竜宮門と呼ばれ、当時佐賀藩が長崎警備を勤めていたことから、中国文化の影響を多大に受けていたものと考えられる貴重な建造物です。

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星巌寺御霊屋(せいがんじおたまや)

星巌寺御霊屋の全景画像

指定年月日

平成19年(2007年)3月14日

所在地 小城市小城町畑田(祥光山星巖寺)

祥光山星巌寺の肥前小城藩主鍋島家墓所内にある御霊屋は、屋根は入母屋造りで、平入りの本瓦葺きの建造物です。正面入口は桟唐戸が使用されており、内部には宝篋印塔形五輪塔が納められています。内部の五輪塔の正面には、「見性院殿真空浄眼大居士塔」、背面には、「正徳四甲午年仲夏晦日」と刻されています。五輪塔の銘と、「星巌寺御墓所指図」から、この御霊屋は4代藩主鍋島元延の墓に建てられたものであることがわかります。

 

御霊屋の建築年は没年より若干遅れますが、18世紀半ば頃までさかのぼるとされています。

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小城市重要文化財

大天満神社四脚門・石造肥前鳥居
(だいてんまじんじゃしきゃくもん・せきぞうひぜんとりい)

大天満神社四脚門・石造肥前鳥居の画像

指定年月日

昭和59年(1984年)10月1日

所在地 小城市芦刈町芦溝(天満神社)

大天満神社の創建は建暦年間(1211年~1212年)から建保年間(1213年~1218年)と伝えられており、芦刈町では最も古い神社です。関東から下向した千葉氏をはじめ当時の鴨打、徳島、持永、南里、神代氏の歴代領主が崇敬した郷社です。

 

四脚門は一間一戸の四脚門で、屋根は切妻造の本瓦葺であり扉は欠失し、門の両側に造り出しがあります。江戸時代中期の建立であろうと推定され、門の側面の家紋および門前にある肥前鳥居の刻銘等から神代氏ゆかりの四脚門であると考えられています。肥前鳥居は笠木の長さ3.82メートル、高さ2.95メートルで笠木・島木および貫は3本継、柱は2本継です。寛永5年(1628年)の造立銘を有しています。

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六地蔵塔(ろくじぞうとう)

六地蔵塔の全景画像

指定年月日

平成7年(1995年)11月1日

所在地 小城市牛津町柿樋瀬(広厳山宝積寺)

小城町の三間山円通寺の末寺とされる広厳山宝積寺門前に造立される六地蔵塔は、天文6年(1537年)の銘があり、牛津町内に多く所在する肥前六地蔵塔のなかでも最も古い時期の所産です。

 

発生時期の古い六地蔵塔の六地蔵はレリーフ状に彫り出されますが、肥前地方においてはそのほとんどが丸彫りであり、戦国期から近世の所産です。宝積寺門前の六地蔵塔は、そうした肥前特有の六地蔵塔の中で銘文が確認される最古のものであり、室町時代から戦国、近世に至る庶民の六地蔵信仰を現代に伝えるものとして貴重な文化財です。

 

特に、戦国時代から江戸時代にかけて砥川石工を輩出した牛津町にとって、六地蔵塔は肥前鳥居や石仏につながる前身的建造物であると考えられ、砥川石工の研究資料としても重要な位置付けを担っています。

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慶長十七年の銘入り肥前鳥居
(けいちょうじゅうななねんのめいいりひぜんとりい)

慶長十七年の銘入り肥前鳥居の正面画像

指定年月日

平成9年(1997年)3月31日

所在地 小城市牛津町乙柳(生立ヶ里八幡神社)

生立ヶ里八幡神社の肥前鳥居は慶長17年(1612年)に建てられたものです。この肥前鳥居を建立したのは持永助左衛門茂盛です。持永氏は南北朝時代に下向した九州探題・今川了俊につながる家系であり、茂盛自身は鍋島直茂の隠居付八十三士の1人で後に小城鍋島藩初代藩主鍋島元茂の家臣となりました。

 

この肥前鳥居は柱が二本継ぎ、笠木・島木は一体化し、貫とともに三本継ぎの構造となっています。様式的には背が低く、直線的で厚みのある笠木・島木部分と貫の間は狭いものです。柱は太くて短く、重量感があります。

 

「肥前石工の発祥地」である小城市牛津町にとって、この肥前鳥居は代表的石造物と位置づけられ、砥川石工の研究を進める上でも貴重な文化財です。

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肥前鳥居(一・二・三の鳥居)【ひぜんとりい(いち・に・さんのとりい)】

一の鳥居の画像

一の鳥居

二の鳥居の画像

二の鳥居

三の鳥居の画像

三の鳥居

指定年月日

平成9年(1997年)3月31日

所在地 小城市牛津町上砥川(砥川八幡神社)

一の鳥居は参道入口にあります。銘文によると、4名の人物名と建立時期とみられる紀年銘(寛文2年・1662年)が刻まれています。この肥前鳥居を勧請したのは、鍋島翁介直氏(白石鍋島家2代直堯)です。

 

二の鳥居は境内階段下にあり、その規模は3つの鳥居の中で最大です。左右の柱には大きく深い銘文が刻まれており、そこには、紀年銘(正保4年・1647年)のほかに、石工や施工者の名前も刻まれています。

 

三の鳥居は境内階段上にあります。この鳥居は銘文が残っておらず、その建造時期は不明ですが砥川石工の手によるものと考えられ、天正年間(1573年~1592年)に建立された可能性があります。

 

これらの肥前鳥居の中で、一・二の鳥居には銘文が刻まれており、さまざまな情報が残されています。良好な文字資料を提供する砥川八幡神社の一・二の鳥居は砥川石工を研究する上で原点ともいえる位置づけを有しています。また、三の鳥居そのものも紀年銘は不明であるにも関わらず、砥川石工制作の石造物として重要な位置を占めるものです。

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岡本無縫塔(おかもとむほうとう)

 

指定年月日

平成15年(2003年)7月7日

所在地 小城市三日月町織島

無縫塔は鎌倉時代に禅宗の僧侶によって中国から伝わったとされています。初めのうちは禅僧の墓碑として建てられていましたが、後に宗派を問わず一般僧侶の墓として広く分布します。

 

岡本無縫塔は須弥檀式無縫塔と呼ばれる複雑な塔形で、造塔年代は1300年代と推定されます。佐賀県内では最古級のもので、造立した人物は極めて高い僧位をもった禅僧であると思われます。また、古塔にもかかわらず、ほぼ造立当時の姿を今に残す完全形の墓塔で、損傷もなく石造美術史的に大変貴重であるばかりか、地域の歴史を探るうえからも貴重な文化遺産です。

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問い合わせ

小城市教育委員会 文化課/梧竹記念館/歴史資料館
〒845-0001 佐賀県小城市小城町158番地4(桜城館内)
電話番号:0952-73-8809/0952-71-1132(平日、土曜日、日曜日 8時30分から17時15分まで) ファックス番号:0952-71-1145
メール:bunka@city.ogi.lg.jp
 

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